2014年7月20日日曜日

<検証>日本人はなぜ英語が話せないのか?(第二回)

こんばんは!
めぐぺ。です。


以前に一度投稿したことがあるトピックですが、最近色々な本を読んだ上で改めて考えるようになりました。


思考は現実化する-

つまり、

いいように考えていればいい方向に、
悪いように考えていれば悪い方向に、

ということですが、

自分の夢や希望を実現するためには、
目標を明確化することが大切

ですよね!


なんとなくぼんやりしたことではなく、内容を具体的にすると、そこに向かって何をしなくてはいけないのかがはっきりするので、ぐっと身近になります。


例えば、

目標:英語を話すこと、
今:単語はわかるが言いたいことがなかなか言えない、といった場合、


目標に向かってしなくてはいけないのは、

語彙を増やすこと、
実践で使う機会を作ること、

ですが、これだとまだぼんやりしています。


英語を話すことについても、

ジェスチャーで何とかなる程度で満足なのか、
ネイティブレベルまで目指すのか、

今1,000語くらいしか知らないけどひと月で2,000語まで増やす、
週に1回ネイティブと話すように教室に行く、

等、

具体的であれば具体的である程いい✨

わけです。




あまり堅く考え過ぎて負担を増やしすぎると、
キャパオーバーになってしまうこともあるので、

自分のできる範囲内で少しずつ

広げて行くことが大切です。



言語学者でもない私が、なぜ時折、日本人が英語を話せない理由を考えるのか?と言うと、自分も話せない日本人だったこともありますが、行く先々で色々な人に「どうやって英語を勉強したのか?」を聞かれるからでもあります。

きっとそれは、日本にとっては大いなる疑問であり、これからもそうあるのではないかと思います。


前振りが長くなりましたが、今回考えたことは、前述のように、『何かを実現するためには目標を明確化すべき』という点から考えた場合、日本の教育上での英語の勉強において、これといった明確な目標がなかったからではないか、ということです(現在はあるのかもしれませんが)。


例えば、

日々の勉強の先に、英語を話す能力を身につけるという認識がなかったのではないか?と。


もちろん、早くからそういう知識を持っていた人も、中にはいるでしょう。子供になぜ勉強するのかと聞かれた大人が、「勉強すること」を勉強するためと答えたという話も聞いたことがあります。

となるとより一層、学校で勉強しているものは、あくまでその場だけでの行為であり、結論として、無意識に勉強する期間が終わってしまえばいらないもの、と捉えてしまっている可能性もあります。いらないものであれば、身につけようという意識も働きません。あくまで学校にいる間の授業で単位が取れればいい、ということになってしまいます。

特に、受験で英語を受けなくてはいけないということになると、英語に対して苦手意識がある場合はその考えは、より一層強くなるのではないか?というのが今回の思考でした。


なので、現在は小学生高学年から、今後数年のうちには低学年から、英語は必須となる方向だそうですが、そもそも根底にある「学校の勉強」についての考え方の問題もあるとすると、とにかく早く始めることだけが意義ではないように思ったり。私自身、英語を身につけようと真剣に動き出したのは、大学受験の直前でした。

もちろん、それまでもちょっとした勉強はしていたので、多少のアドバンテージはあったと思いますが。みなさんはどう思われますか?





^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

0 件のコメント:

コメントを投稿